子育てさがし 共同通信がママ・パパ・家族をつづった子育て物語です。

企業コンサルタント業の石尾雅子さん

43歳で再び育児 子どもが住みやすい社会に

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石尾雅子さん=東京都港区

 大阪市で企業コンサルタント業「アルトスター」を経営する石尾雅子さん(47)は、約10年前に起業。当時はシングルマザーで中学生と小学生の娘がいた。再婚して43歳で三女真鈴さん(4)を出産し、再び育児にかかわりながら、仕事を通じて子どもが住みやすい社会づくりに貢献したい、との思いを強くしている。
 
 ▽モヤシで迷う
 工業用ミシンメーカーの貿易部門で働いていたが、業績悪化で担当部門が閉鎖。1999年にリストラのための希望退職に応募した。36歳で中学2年、小学6年の娘がいた。
 「ミシンメーカー以前にも複数の会社に勤務していましたが、会社に残っても解雇されることがあったりしたので、希望退職をした方がまだ条件がいいと思いました。当時の会社は女性が仕事の提案することができなかったり、相手にされなかったわたしの提案を上司の男性がすると通ったり、納得がいかないこともありましたね」
 
 退職金は数十万円。当初は別の会社への再就職を考えたが、年齢の壁があり難しく、なるべく娘と一緒に時間を過ごしたいとの思いで、残業や転勤はなるべくない仕事を探してもなかった。それなら自分でなにかやろうと中小企業大学校で基礎的なことを学び、パソコンを購入。アフリカの雑貨などを取り扱うオンラインショップを2000年1月に個人事業として始めた。
 「何か資格を持っていたわけでもなく、もし就職できても娘を大学に行かせるほどの給料は期待できない。学ぶ中で『これからはインターネット』という言葉を聞いて、それならと思い切って始めました」

 最初の3カ月はまったく売れなかった。独学で学んだ英語で英会話講師のアルバイトをするなどして娘を養ったが、生活は苦しかった。
 「おかずは納豆かモヤシが定番でした。そのモヤシすら、今日買う必要があるかスーパーで10分ぐらい迷ったりしていました」

 ヒントを求めて勉強会やビジネスセミナーなどに積極的に参加。「紅茶が売れた」という話を聞き、アフリカのコーヒー豆を取り扱うと、売れ始めて忙しくなったが、そこで出会った仲間と携帯電話を使ってマーケティング調査するシステムを開発した。01年に有限会社「あんくぅ」を設立すると、人脈がさらに広がった。女性、消費者ならではの視点からの指摘が好評で、コンサルティングの仕事をするようになった。あるクリーニング店では、洋服にタグを付ける際、つめに負担がかからないようホチキスの針からプラスチック製に変更するなどのアドバイスで、売り上げ増に貢献した。
 「知人の飲食店に行った時に、『こうした方がいいよ』と言ったりするのが好きだったんです。典型的な大阪のおばちゃんのパターンですね。1円、2円にこだわる生活が、消費者としての視線を育ててくれたのかもしれない。不便だから何とかならないか、お客さまが喜ぶにはどうすれば、というのが今も仕事のヒントです」

 06年9月に株式会社「アルトスター」に改組し、スタッフは現在8人に。子育て中の女性スタッフが在宅勤務できるようにしたり、一時保育の費用を援助する取り組みなどが評価され、09年には男女共同参画に取り組む会社を表彰する「大阪市きらめき企業賞」を受賞した。
 「自分で前向きに勉強するとチャンスがありました。現在はスタッフも増え在宅勤務はいませんが、大きくするばかりではなく、今後も身の丈にあったビジネスを考えています」
 
 ▽高齢で出産
 長女を産んだのは21歳の時。頼れる人もいなく、泣きやまずにイライラして怒鳴ってしまったり、育児ノイローゼになりそうになった経験がある。
 「周りから『母親が若いからしつけができていない』と言われるのがイヤで、長女には厳しく接してきました。『お行儀良くしなきゃだめ』『お姉ちゃんなんだから我慢して』とマイナスの言葉を多く使っていて、子育てを分かっていなかったですね」

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真鈴さんとレストランで=大阪府豊中市(石尾さん提供)

 再婚して06年2月に43歳で真鈴さんを出産した。高齢での出産で体力的に大変なこともあるが、ストレスに感じることはないという。絵本の読み聞かせは、長女、次女の時と同じく習慣にしている。
 「長女の時はもっと抱っこしてあげれば良かった、自由にさせてあげれば良かったと後悔ばかり。今、思い出話を長女とする時は必ずと言っていいほど『あの時はごめん』と謝っています。だから真鈴には孫のように自由に甘えさせてますかね。家族で出掛けると『おばあちゃんは、ここへおかけください』と言われたりもしますよ」
 「会社勤めのころは時間に追われていましたが、起業した今は、自分でスケジュールを立てられ、場合によっては子どもを優先できるので精神的には楽です」

 起業した当時小、中学生だった2人の娘は25歳と23歳になり、石尾さんの仕事を手伝う。真鈴さんの保育園の送り迎えは次女が担当、毎日の夕食は会社員の夫が買い物をして、作っている。家族それぞれが自然とサポートしてくれる。
 「ほぼ休みなく働いていますが、それが当たり前で今はわたしがお父さんみたいな状態ですね。わたしが昔から働いていたので、娘も家のことや仕事を手伝うのは当たり前だと思っているし、嫌がることもないです。真鈴も『早くお母さんと出張したい』と言って文字の勉強をしていて、わたしが働いているのは日常に溶け込んでいます。そんな中でも年に何回かは1週間程度の休みを取って、家族旅行に行ってリフレッシュします」
 
 真鈴さんを育てるようになり、子どもの安全が気になるようになった。起業当時から「世界中の子どもたちが幸せを感じることができる社会をつくる」という理念があり、アルトスターの売り上げの一部を非政府組織(NGO)「セーブ・ザ・チルドレン」などに寄付をしている。会社の得意分野のインターネットを通じて、同じように考えている人たちをつなぐことを構想中だ。
 「長女や次女が公園で遊んでいる時は、たまに姿を見ていれば別のことができていましたが、今は犯罪に巻き込まれるんじゃないかと怖くてできないです。子どもたちが住みやすい社会にと思うのはだいたいの母親が願うこと。虐待や戦争でなくなる子どもたちのニュースを見て、何かしたいけど何もできないと思っていたんです」
 「でも真鈴が生まれた後から、できることで何かを始めようと考えるようになりました。1人の力は小さいけど、集まれば大きくなる。それぞれが社会のためにやっているノウハウや情報を共有することができれば、少しでもいい社会になるかなと考えています」

 取引先は関西にとどまらず、東京や九州にも広がり、出張もするようになった。
 「家族が大阪にいるというのは変わりないから拠点はずっと大阪ですね。出張ですれ違うこともありますが、真鈴には『あなたが生まれてきてくれたから、わたしもみんなも幸せなんだよ』と小まめに伝えています。仕事の基礎になっている『大阪のおばちゃん』はわたしから外せないな」。(共同通信デジタル編集部、10年4月13日配信)


 ▽石尾さんの1日
 08:00 起床。真鈴さんと朝食、新聞のチェック
 09:00 自宅でメールの確認。クライアントへの返信
 10:30 出社。社員と打ち合わせ
 13:00 ランチミーティング
 14:30 取引先へ、打ち合わせやコンサルティング
 18:30 帰宅
 19:00 真鈴さんと入浴
 20:30 夕食
 21:30 真鈴さんに絵本の読み聞かせ
 23:00 残りの仕事
 03:00 就寝



石尾雅子(いしお・まさこ)さんの略歴

 1963年、大阪府生まれ。99年にリストラのための希望退職に応募。2人の娘がいるシングルマザーだったが、2000年1月にオンラインショップを個人事業として起業。01年に有限会社「あんくぅ」を設立。06年に真鈴(まりん)さんを出産。株式会社「アルトスター」に改組し、社長に就任。